・歴 史
道元禅師が、24歳で中国へ留学したのは、南宋の時代です。中国の諸山を遍歴した 後、26歳の春、天童山景徳寺(てんどうざん けいとくじ)の住職となっていた如 浄(にょじょう)禅師に出会い、釈尊以来の正伝の仏法を相続することができまし た。28歳で帰国した道元禅師は、直ちに坐禅の仕方などを説いた『普勧坐禅儀(ふ かんざぜんぎ)』一巻を選述しました。当時は比叡山を中心とした旧仏教側の圧迫も あり、正伝を宣揚するためには、真の求道者を養成することが急務であると考えら れ、宇治の興聖寺(こうしょうじ)、更には越前の永平寺(えいへいじ)を通じて、 1人でもいい、半人でもいい(一箇半箇)との願いをこめて人材の養成に専念されま した。
この道元禅師の精神は、その後をついだ永平寺二代の孤雲懐弉(こうん えじょう) 禅師、永平寺三代で加賀の大乗寺(だいじょうじ)を開かれた徹通義介(てっつう ぎかい)禅師を経て、その弟子瑩山(けいざん)禅師に受け継がれました。そして瑩 山禅師のもとには、後に永光寺(ようこうじ)を継いだ明峰素哲(めいほう そて つ)禅師、總持寺(そうじじ)を継いだ峨山韶碩(がさん じょうせき)禅師が出ら れ、その門下にも多くの優れた人材が輩出して、日本各地に曹洞禅(そうとうぜん) が広まっていったのです。特に今一つの中国禅宗の流れをくむ臨済宗(りんざいしゅ う)が、幕府や貴族階級など、時の権力者の信仰を得たのに対し、曹洞宗は地方の豪 族や一般民衆の帰依(きえ)を受け、もっぱら地方へと教線を伸ばしていきました。
すなわち、鎌倉末期から室町時代にかけては、臨済宗が鎌倉や京都に最高の寺格を有 する5ヶ寺を定めて順位をつけた五山十刹(ごさんじゅっせつ)の制をしき、五山文 学を中心とする禅宗文化を大いに発展させましたが、曹洞宗はこうした中央の政治権 力との結びつきをさけ、地方の民衆の中にとけこんで、民衆の素朴な悩みにこたえ、 地道な布教活動を続けていきました。しかし、長い歴史の間には宗門にも色々な乱れ や変化が起こりました。
江戸時代になると、徳川幕府による「寺檀(じだん)制度」の確立によって、寺院の 組織化と統制が加えられる一方、宗学(しゅうがく)の研究を志す月舟宗胡(げっ しゅう そうこ)、卍山道白(まんざん どうはく)、面山瑞方(めんざん ずいほ う)等の優れた人材が出て、嗣法(しほう)の乱れを正して道元禅師の示された面授 嗣法(めんじゅしほう)の精神に帰るべきことを主張した宗統復古(しゅうとうふっ こ)の運動や、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』をはじめとする宗典(しゅうて ん)の研究、校訂、出版などが盛んに行われました。
明治維新となり、神道を中心に置こうとする新政府は、神仏を分離して仏教を廃止し ようとする廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を断行し、仏教界に大きな打撃を与えまし た。しかし仏教界の各宗もよくこの難局に耐え、曹洞宗には大内青巒居士(おおうち せいらん こじ)が出て『修証義(しゅしょうぎ)』の原型を編纂し、その後總持 寺の畔上楳仙(あぜがみばいせん)禅師、永平寺の滝谷琢宗(たきや たくしゅう) 禅師の校訂を経て宗門(しゅうもん)布教の標準として公布され、在家化導(ざいけ けどう)の上に大きな役割を果たしました。
こうしてわが宗門は、今日全国に約1万5千の寺院と、800万の檀信徒を擁する大 宗団に発展し、未来にむけて更に前進しようとしています。
・宗 旨
曹洞宗は、お釈迦様より歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょう でん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りど ころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」 であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」 とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指し ます。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間とし て生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。
・教 義
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を 与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」に は、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他 人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま 勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の 生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私 たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目 指す生き方といえましょう。
・住職の声